人類にとって、子孫を残すということ。 その3

 

それでは人類はというと、世代交代の時期は高齢化によって伸びています。経済や、医療技術の発達や個人の自由も進んで、人生の選択肢が男女とも増えて、少子化が進む傾向にあります。後進国は未だに多産で寿命も短命ですが、先進国を追いかける傾向があります。

人類は豊かになればなるほど、次世代への種の引き継ぎはサイクルが遅くなると言えそうです。それは種の存続という観点からいうと、リスクが高い状態ということになるのです。

リスクが高いけれど、社会のシステムがそれを補って安全性を担保しているのです。人が自由になり豊かになる、こういった社会システムや、科学技術の発達の陰に隠れるようにして、実は種の存続という命の問題は存在していて、時代の早い変化にも対応するために子孫を早めに作り続けるか、あるいは一人の人間がこの早い時代の変化に順応していくしかないという命題を負っているのです。もしかすると、そのどちらも両方なのかも知れませんね。

 

新しい命を持った子供世代がどんどん生まれて、世代交代が早く起こる国の方が、これからの時代の変化にいち早く順応できると考えると、現在の発展途上国が近い将来に、情報科学を使えるようになることで、機会的技術から解放されて急速な発展をするかも知れません。

 

そんなことを考えると、過去の文明は、ある一定の時期をすぎると衰退して、新しい文明にとって代わられるという歴史を繰り返してきたことが、当然のように思えます。エジプト、チグリスユーフラテス、黄河、インダス文明などの栄枯盛衰を見ると、現代に当てはまる気もしますし、これからはこれらの地域の人々が、そろそろ勢力を逆転するような時代がくるかも知れません。例えばインドや、中国を見ると、あながち想像だけの話とも言えない気がします。

何れにしても、人は生きて最後に死にます。子孫を残すことは遺伝子に書かれている大きな欲求であり、生物のもつ一番根源的な目的なのです。

自分の安全を確保して、次の世代に何かを引き継ごうとする命の循環は、宇宙の環境に生命が有る限り続くのではないでしょうか。

不妊症という現代のテーマの中に、大きな生命の流れが潜んでいて、そのことを普段は意識していないのですが、あなたも私も知らぬ間に実際の行動として動かされているのだと思います。今回はそんなことを考えてみました。